その管理職自身が「ボトルネック」になっていないか
「忙しい管理職ほど優秀」という会社の危うさ
会社の中を見渡すと、いつも忙しそうにしている管理職がいます。朝から会議に入り、メールを返し、部下から相談を受け、顧客対応をし、トラブルが起きれば現場へ走る。昼食を取る暇もなく、夜まで仕事をしている。その姿を見ると、「あの人は本当に仕事ができる」「会社に欠かせない人だ」と評価したくなります。
私自身、若い頃には仕事量をこなすことが評価につながる風習の中で働き、そこに承認欲求もありました。たくさん仕事を引き受け、結果を出し、周囲から必要とされることで、自分の社内でのポジショニングをつくろうという意識もありました。
私は、この時期そのものを否定しているわけではありません。若いうちは量をこなすことで見える世界があります。10件しか経験していない人と1,000件経験した人では、問題が起きた瞬間に見える景色が違います。量を経験することでパターンが見え、視座が上がり、その結果として仕事の質も高くなる。プレイヤーとして徹底的に仕事をする時期は必要です。
しかし、管理職になっても同じ評価軸を持ち続けると問題が起きます。プレイヤー時代の「忙しい=価値を生んでいる」を、そのまま管理職へ持ち込んでしまうからです。管理職の仕事は、自分の処理量を最大化することではありません。部下と組織全体が生み出す成果を最大化することです。
つまり、管理職が毎日忙しすぎる状態は、必ずしも勲章ではありません。場合によっては「この組織には、まだ管理職を通さなければ動かない仕事が大量に残っています」という警告灯なのです。
「一人ブラック」になって初めて分かったこと
私自身、この問題を身をもって経験しました。若い頃、誰もやる人がいない仕事があると、「では、自分がやります」と引き受けていました。できない仕事をできるようになることは面白いですし、頼られることにも充実感がありました。仕事をこなせば評価され、自分の守備範囲も広がっていきます。
ところが、それを続けているうちに仕事が終わらなくなりました。毎日、夜中の3時まで仕事をするような状態になり、私は自分自身を「一人ブラック」と呼べるような働き方にしてしまいました。
ここには重要な教訓があります。仕事が集中する人は、必ずしも能力が低いわけではありません。むしろ能力が高いから集中することがあります。「あの人ならできる」「頼めば早い」「最後は何とかしてくれる」。そうして仕事が集まり、本人も期待に応え続ける。しかし、本人の一日は24時間しかありません。
どれほど高性能なコンピューターでも、すべての処理を一台へ集中させれば、やがて処理待ちが発生します。人間も同じです。
この状態を経営者が「彼はよく頑張っている」で終わらせてはいけません。「なぜ彼にこれほど仕事が集まる構造になっているのか」と考える必要があります。
忙しさを称賛する経営から、忙しさの原因を分析する経営へ変える。それが組織を次の段階へ進める第一歩です。
量をこなす時期と、量を手放す時期
ここで大切なのは、「忙しく働くことは悪い」と単純化しないことです。私は若い頃に大量の仕事を経験したことが、その後の仕事に大きく役立ったと考えています。入社して間もなく海外へ出て、現場で装置を学び、顧客と向き合い、その後も大型プロジェクトや海外サポート、人材育成、新規装置開発など、多くの仕事を経験しました。
量をこなしたからこそ、仕事の全体像が見えるようになりました。どこで問題が起きるのか、何が次工程へ影響するのか、現場と顧客と組織がどうつながっているのか。経験量は、判断のデータベースになります。
しかし、ある地点から役割を変えなければなりません。
最初は「自分ができる仕事を増やす」。次は「人にできるようにする」。さらに「人が自分で判断できる環境をつくる」。そして管理職になれば、「自分がやらなくても成果が出る構造をつくる」。
この転換をしないと、優秀なプレイヤーほど管理職になった後に苦しくなります。自分でできる仕事が多いから、つい手を出す。部下が30分悩んでいると、自分なら5分でできると思ってやってしまう。その日は25分短縮できます。しかし、翌日も部下はできません。半年後も同じ質問が来ます。
短期の25分を取り続けた結果、長期では何百時間も失っているのです。
管理職には「暇」が必要である
私は、管理職が暇であること自体は悪いことではないと思っています。むしろ、その時間を構造づくりや環境整備に全振りできているなら、非常に良い状態です。
ここでいう「暇」とは、何もせず椅子に座っていることではありません。目の前の作業に追われていないという意味です。
例えば、部下が仕事をしている横で、管理職が「なぜこの作業には毎回2時間かかるのだろう」「なぜこの問い合わせが毎週発生するのだろう」「なぜ新人が同じところでつまずくのだろう」と考える。一見すると、本人は手を動かしていません。しかし、その問いから仕組みが変わり、10人の仕事が毎日30分短くなれば、一日で5時間、年間では膨大な時間が生まれます。
管理職の仕事は、自分の1時間を売ることではありません。自分の1時間を使って、組織の100時間を生み出すことです。
だから、本当に怖いのは管理職が暇な会社ではありません。管理職が朝から晩までプレイヤー業務に追われ、「どうすればこの仕事そのものをなくせるか」と考える時間が1分もない会社です。
以前お話ししたアウトバーンの比喩で言えば、管理職は自分がフェラーリに乗って360km/hで走り続ける人ではありません。道路に穴がないかを調べ、障害物を取り除き、標識を整え、事故が起きにくい道路をつくる人です。道路管理者が毎日配送トラックの運転をしていたら、道路の整備は誰がするのでしょうか。
管理職の「余白」は、組織の未来をつくるための時間なのです。
2〜3時間の仮眠から、長期休暇を取れる組織へ
次世代装置の開発と製品化のプロジェクトでアメリカへ渡ったとき、私は現地7名で5つのプロジェクトを抱えていました。最終的には3台をプロダクト化し、約300億円規模の市場獲得につながり、その先には約3,000億円規模の市場を狙うところまで展開していきました。
しかし、初期の働き方は決して持続可能なものではありませんでした。毎日、仮眠が2〜3時間程度という状態です。
プロジェクトを成功させるために必死でしたが、もしこの状態を「責任者だから当然だ」と考え続けていたらどうなったでしょう。私が倒れるか、プロジェクトが私の処理能力以上に大きくなった瞬間に止まります。
そこで、人材育成と業務分担をプロジェクトの構造そのものへ組み込んでいきました。部下を主役として前面に出し、それぞれに責任を持たせる。一方で私は全体を把握し、緊急時には自分でも対応できるよう、装置全体についてトラブルシューティング、メンテナンス、立ち上げ、オペレーションまで理解する。そして、社内にすでに存在するシステムや仕組みも活用し、部下がそれを使えるよう教育する。
これは「仕事を放棄する」のとは正反対です。責任者として全体を把握しながら、実行の主役を自分からチームへ移していくのです。
約半年後にはローテーションで休めるようになり、1年後には土日や長期休暇を取れる状態になりました。そして帰任時には、ほぼ引き継ぎなしで後任へバトンを渡せるところまで構造化できていました。
私にとって重要だったのは、「休めるようになった」ことそのものではありません。
休んでも成果が出る組織になったことです。
管理職が休めない会社では、会社がその人の身体をシステムの一部として使っています。反対に、管理職が長期休暇を取っても問題なく回るなら、判断、教育、情報、役割が組織へ移されています。
休暇は、ある意味で組織の自立度を測るテストにもなるのです。
「自分がいないと困る」は、本当に価値なのか
管理職が仕事を手放せない理由は、業務上の事情だけではありません。そこには人間の心理があります。
私自身、若い頃には「必要とされたい」という承認欲求がありました。大量の仕事をこなし、難しい案件を解決し、「有田に頼めば何とかなる」というポジションを獲得することには意味がありました。それによって社内での信頼をつくり、より大きな仕事を任されるようになる。その過程は、キャリア形成として必要だったと思います。
問題は、その成功体験をいつまでも手放せないことです。
管理職になると、評価される瞬間が変わります。自分が難題を解決して拍手されるより、部下が難題を解決して自分には誰も連絡してこない状態の方が、本来は管理職として成功しています。
しかし、これは心理的には簡単ではありません。
自分に電話が来ない。会議に呼ばれない。部下だけで判断して仕事が進む。「自分は必要とされていないのではないか」と不安になる人もいるでしょう。
ここで管理職としての成熟が問われます。
自分が主役であることから、部下が主役であることへ喜びを移せるか。自分の成果から、組織の成果へ承認欲求の置き場所を変えられるか。
優れた管理職とは、「自分がいなければ困る状態」をつくった人ではありません。「自分がいなくても困らない状態」をつくった人なのです。
権限移譲だけでは、ボトルネックは消えない
私は比較的、一定の範囲で自ら決断できる権限を持って仕事をしてきました。そのため、「上司が承認しないから何も進まない」という状況ばかりを経験してきたわけではありません。
これは重要なポイントです。組織を速くするには、仕事だけでなく判断も現場へ近づける必要があります。
ただし、権限移譲とは「好きにやっていい」ということではありません。何を自分で決めてよいのか、どこから上司へ相談するのか、何を基準に判断するのかが必要です。
つまり、権限と判断基準をセットで渡す。
これがなければ、部下は責任を恐れて結局上司に聞きます。管理職は「任せたはずなのに、何でも聞いてくる」と苛立つ。しかし、部下からすれば判断の物差しを渡されていないのです。
GHOST経営™でいう構造化とは、仕事の手順だけを決めることではありません。誰が、何を、どこまで判断できるのか。必要な情報はどこにあるのか。異常時には誰へエスカレーションするのか。こうした判断の道路まで整備することです。
管理職自身がボトルネックかどうかを見抜く
経営者が管理職を見るとき、残業時間だけを見ても本質は分かりません。むしろ、いくつかの問いを投げた方がよいと思います。
その管理職が1週間いなくても部署は回るか。部下は自分で判断できるか。同じ質問が毎月その管理職へ集まっていないか。トラブルが起きるたびに本人が現場へ飛び込んでいないか。後継者は育っているか。本人しか知らない情報はないか。そして、本人の時間のうちどれだけが「今日を回す仕事」ではなく「明日から仕事を楽にする仕組みづくり」に使われているか。
これらの問いに答えると、管理職の本当の仕事が見えてきます。
毎日12時間働いている管理職より、8時間で帰りながらチームの生産性を上げ、後継者を育て、問題を減らしている管理職の方が価値を生んでいる可能性があります。
経営は「努力量」を評価するだけではいけません。「その努力によって、次回から努力しなくてよい構造がどれだけ増えたか」を見る必要があります。
すべての経営課題は「時間」へつながっていく
そして、ここまで考えると、管理職の忙しさの問題は最終的に「時間」の問題へつながります。
会社で発生する問題の多くは、時間を奪います。判断が遅ければ待ち時間が生まれる。教育が不十分なら教え直す時間が生まれる。標準化されていなければ毎回考える時間が生まれる。品質問題が起きればやり直しの時間が生まれる。属人化していれば、その人が空くまで待つ時間が生まれる。会議が多ければ、参加者全員の時間が消えます。
利益も時間と無関係ではありません。
同じ売上をつくるために100時間必要な会社と50時間で済む会社では、利益構造が違います。同じ品質を出すためにベテランが毎回付き添う会社と、新人でも標準と教育によって一定品質を出せる会社でも、時間の使い方が違います。
つまり、構造化、標準化、人材育成、権限移譲、環境整備、属人性排除は、別々の経営施策ではありません。
すべて「会社の時間を、どこへ使うか」という問題につながっています。
特に管理職の時間は重要です。なぜなら、管理職の1時間は本人一人の1時間だけではないからです。その1時間で10人の仕事の流れを改善すれば、何十時間、何百時間を生み出せる可能性があります。反対に、管理職の判断待ちで10人が1時間止まれば、本人の1時間が組織の10時間を奪います。
管理職とは、組織の時間を増幅させる存在なのです。
だからこそ、管理職が忙しすぎる会社を見たとき、「よく働いている」とだけ評価するのではなく、「その人の時間は、会社の未来を増やすために使われているか」と考えなければなりません。
GHOST経営™が目指す「忙しさを減らす経営」
GHOST経営™が目指しているのは、人を楽にするだけの構造化ではありません。社長や管理職、社員が、本来使うべき場所へ時間を使える経営OSをつくることです。
繰り返し発生する仕事は標準化する。個人の頭の中にある知識は組織へ移す。判断基準を明確にする。チェックリストで記憶への依存を減らす。教育を仕組みにする。部下へ責任と権限を渡す。そして管理職は、空いた時間をさらに構造化と環境整備へ投資する。
ここで重要なのは、空いた時間にまた新しい実務を詰め込まないことです。
せっかく2時間の余白をつくったのに、「まだ余裕があるね」と別の仕事を2時間入れたら、組織は永遠に忙しいままです。
生まれた余白を、改善、人材育成、未来の問題発見、新しい仕組みづくりへ再投資する。
そうすると、さらに時間が生まれます。
構造化によって時間が生まれ、その時間で次の構造をつくり、さらに時間が生まれる。この循環が回り始めた会社は、人数を増やすだけでは得られない成長力を持ちます。
私はこれを、「時間の複利」と考えています。
お金には複利があります。生まれた利益を再投資すると、次の利益を生みます。同じように、構造化によって生まれた時間を構造改善へ再投資すれば、その改善がさらに多くの時間を生みます。
反対に、忙しさを放置すると「時間の負債」が複利で膨らみます。教育する時間がないから人が育たない。人が育たないから管理職が仕事を抱える。仕事を抱えるから改善する時間がない。改善できないからさらに忙しくなる。
同じ「時間」でも、一方は資産になり、もう一方は負債になります。
この違いをつくるのが経営なのです。
経営の本質
管理職が毎日忙しく働いている姿を見ると、経営者は安心するかもしれません。しかし、本当に見るべきなのは、その人が何時間働いたかではありません。
その人がいることで、組織の時間が増えているのか、減っているのか。
私は若い頃、量をこなし、夜中の3時まで働き、自分の守備範囲を広げてきました。その経験があったからこそ身についた視座や判断力があります。だから若い人に「忙しく働くな」と言うつもりはありません。量からしか学べない時期は確かにあります。
しかし、役割が変われば、時間の使い方も変えなければなりません。
プレイヤーは、自分の時間から成果を生み出す。リーダーは、部下を主役にして、部下の時間から成果を生み出す。管理職は、構造と環境を整え、組織全体の時間からより大きな成果を生み出す。そして経営者は、会社全体の時間が未来の価値へ変換される仕組みをつくる。
階層が上がるほど、「自分がどれだけ働いたか」の重要性は下がり、「人と組織の時間をどれだけ価値へ変えたか」の重要性が上がります。
だから、管理職が暇になったなら、私はそれを悪いことだとは思いません。
その余白を使って、道路を整備すればいい。人を育てればいい。標準を改善すればいい。次に起きる問題を先回りして潰せばいい。そして、自分がいなくてもさらに成果が出る構造をつくればいい。
本当に危険なのは、管理職が暇な会社ではありません。
管理職が忙しすぎて、会社を良くする時間がない会社です。
経営の本質とは、人を忙しくすることではありません。人が持つ有限の時間を、最も価値の高い仕事へ移し続けることです。
そして管理職の仕事とは、自分の予定表を埋めることではなく、部下の時間を奪う障害物を取り除き、組織全体に「未来をつくる時間」を生み出すことなのです。
