社員が育たないのではなく、「育つ道路」がないのかもしれない
「社員がなかなか育たない」「管理職に任せられる人がいない」「結局、自分が判断しなければ会社が回らない」。経営者と話をしていると、こうした悩みを本当によく耳にします。そこで多くの会社が社員教育を始めます。営業研修、管理職研修、接遇研修、DX研修、動画教材、外部セミナー。ところが半年、一年経って振り返ると、「研修は受けさせたけれど、会社そのものはあまり変わっていない」ということが珍しくありません。私は、その原因の一つは、社員教育を「知識を教えること」と捉えてしまっていることにあると考えています。
私は34年間、パイロットとして航空の世界に関わってきました。そしてもう一つ、半導体製造装置のエンジニアとして、装置の立ち上げ、現場対応、人材教育、標準化といった仕事にも長く携わってきました。一見まったく違う二つの世界ですが、そこで学んだことには驚くほど共通点があります。それは、高い成果や安全性は、優秀な個人の能力だけから生まれるのではなく、その人が能力を発揮できる「構造」から生まれるということです。
例えば、世界最高峰の性能を持つフェラーリがあったとしても、道路が穴だらけなら360km/hでは走れません。パイロットがどれほど優秀でも、機体整備、管制、気象情報、標準手順、チェックリストが機能していなければ、安全な運航はできません。半導体製造装置も同じです。極めて複雑な装置を、担当者の勘と経験だけで立ち上げようとすれば、品質は安定しません。つまり、人材育成を考えるときに最初に見るべきなのは、「社員の能力」だけではなく、社員が成長できる道路が会社の中に設計されているかなのです。
航空の世界は「優秀な人だから大丈夫」とは考えない
航空の世界で強く感じるのは、人間を決して万能だと考えていないことです。パイロットは訓練を受けています。しかし、人間である以上、忘れることもあれば、疲れることもある。思い込みも起こるし、判断を誤る可能性もあります。だから航空では「優秀なパイロットだから大丈夫」という仕組みにはしません。チェックリストがあり、標準手順があり、管制があり、整備体制があり、訓練があり、異常時の手順があります。
これは、人を信用していないのではありません。むしろ逆です。人間という存在を深く理解しているからこそ、人間だけに依存しない構造をつくっているのです。
例えば離陸前には確認すべき項目があります。何百回、何千回と繰り返してきた作業であっても、「慣れているから今日は確認しなくていい」とはなりません。なぜなら、ベテランになるほど経験による思い込みが入り込む可能性があるからです。これは会社でもまったく同じです。「山田さんなら分かっている」「佐藤部長なら大丈夫」という言葉が増えている会社ほど、実は属人化というリスクを抱えています。その人が休んだらどうなるのか。退職したらどうなるのか。その人が判断を間違えたとき、誰が気づくのか。社員教育とは、優秀な人を増やすことだけではなく、優秀な人の知識や判断を会社の仕組みに変えていくことでもあるのです。
最初に教えるべきは「何をするか」より「なぜするか」
社員教育の第一段階は、理念・価値観教育です。Purpose、Mission、Vision、Values、創業の想い、会社が顧客にどんな価値を提供したいのか、何を大切にする会社なのか。ここを曖昧にしたまま「自分で考えて動いてほしい」と社員に求めても、思ったようには動きません。
飛行機に例えるなら、目的地を伝えずに「自分で航路を決めてください」と言っているようなものです。東京へ行くのか、福岡へ行くのか、ニューヨークへ向かうのかが分からなければ、どんなに優秀なパイロットでも正しい方向へは飛べません。
つまり理念とは、きれいな言葉を額縁に入れて飾るためのものではありません。現場で迷ったときに戻る航法装置なのです。
お客様への対応で迷ったとき、利益を優先するのか、品質を優先するのか、短期売上より信用を守るのか。その判断の一つひとつに会社の価値観が表れます。経営者の頭の中だけに判断基準が存在する会社では、すべての判断が社長へ戻ってきます。これが社長依存です。一方、理念と判断基準が社員に共有されていれば、現場が自ら判断できる範囲が広がります。
GHOST経営™で理念を経営OSの上位に置くのは、そのためです。
半導体製造装置の現場で教えられた「標準」の力
私が半導体製造装置のエンジニアとして仕事をしてきた中でも、標準化の重要性を何度も実感しました。半導体製造装置は非常に複雑です。一つの条件、一つの作業、一つの設定の違いが結果に影響します。しかも、装置を一台だけ動かせばいいわけではありません。複数の装置、複数のエンジニア、異なる現場でも、一定の品質を出さなければならない。
そこで重要になるのが、「できる人が頑張る」ではなく、「誰が担当しても一定レベルまで再現できる仕組み」です。
優秀なエンジニアの頭の中には、たくさんの暗黙知があります。「この音ならここがおかしい」「この数値なら次にここを見る」「この現象ならこの順番で確認する」。本人にとっては当たり前でも、新人には分かりません。この状態で「現場で覚えろ」と言えば、一人前になるまで何年もかかります。さらに、そのベテランが辞めれば知識も一緒に会社から消えてしまいます。
だから、作業手順、判断基準、チェックポイント、トラブル事例、教育方法を見える形にしていく。つまり、個人の経験を組織の資産へ変換するのです。
これはGHOST経営™における「属人性排除」の考え方そのものです。属人性を排除するとは、人を機械のように扱うことではありません。むしろ、ベテランしかできない単純判断を仕組みに移し、そのベテランにはもっと高度な問題解決や、新しい価値創造をしてもらうことなのです。
社員教育には「成長する順番」がある
こうした経験から考えると、社員教育は大きく七つに分けることができます。第一が理念・価値観、第二が基本・規律、第三が業務標準、第四が専門・技能、第五が問題解決・改善、第六が管理職・マネジメント、そして第七が経営者・経営幹部教育です。
これは単なる研修メニューの一覧ではありません。人が成長していく順番です。
まず、自分たちはどこへ向かう会社なのかを知る。
次に、時間、報連相、環境整備、安全、情報管理など、会社で働く基本ルールを身につける。そのうえで標準業務を覚え、専門性を高める。そして、言われたことを正確に行うだけでなく、自ら問題を発見して改善できるようになる。さらに管理職になれば、自分が成果を出す側から、他人が成果を出せる環境をつくる側へ移る。最後には経営幹部として、会社全体の道路網を設計する。
航空で考えると分かりやすいでしょう。
新人がいきなり機長になることはありません。まず基本を学び、訓練を受け、標準手順を覚え、さまざまな状況を経験し、責任範囲を広げていきます。ところが会社では、営業成績が良かったという理由だけで、昨日までプレイヤーだった人を突然課長にすることがあります。そして「今日から部下をマネジメントしてください」と言う。これは、車を速く運転できた人に突然「明日から高速道路を管理してください」と任せるようなものです。
管理職になった瞬間、仕事は180度変わる
管理職教育で最も重要なのは、プレイヤー時代との役割の違いを理解させることです。プレイヤーの仕事は、自分が成果を出すことです。しかし管理職の仕事は、部下が成果を出せる構造をつくることです。
ところが、多くの優秀なプレイヤーは管理職になっても自分でやってしまいます。部下の商談が難しければ、自分が商談する。問題が起これば、自分が解決する。資料ができなければ、自分で作る。本人は誰よりも忙しいので、一見すると素晴らしい管理職に見えます。しかし、その人が休んだ瞬間、部署が止まるのであれば、それは強い組織ではありません。
これは半導体装置の現場でも同じです。一人のスーパーエンジニアがすべてのトラブルを解決してしまえば、その日は助かります。しかし、その人しか解決できない状態が一年続いたなら、会社として問題は何も解決していないのです。
優れた管理職は、トラブルを解決すると同時に、「なぜ他の人には解決できなかったのか」「次回は誰でも対応できるように何を残すべきか」と考えます。手順にする。教育にする。判断基準にする。データとして残す。つまり、一回の問題解決を、次回から会社全体が強くなる仕組みに変換するのです。
管理職は「社員を管理する人」ではなく「道路を整備する人」である
ここで、フェラーリとアウトバーンの比喩に戻ります。社員がフェラーリだとすれば、管理職の仕事は運転席の横に座って「もっと速く走れ」と叫ぶことではありません。360km/hを安全に出せる道路を整備することです。
例えば社員の仕事が遅いとします。普通の管理職なら「もっと早くやって」と言うかもしれません。しかし優れた管理職は、「何がこの社員の速度を落としているのだろう」と考えます。情報を探すのに30分かかっているのか。承認に三日待たされているのか。不要な会議が毎日あるのか。仕事の優先順位が曖昧なのか。上司によって指示が違うのか。
航空でいえば、飛行機の速度が出ないからといって、まずパイロットを責めることはありません。気象条件はどうか。機体の状態はどうか。重量はどうか。管制上の制約はどうか。いくつもの要因を確認します。半導体製造装置でも、結果が出なければ人を責める前に、条件、工程、設備、手順、データを確認します。
それなのに会社になると、なぜか最初に「人の意識」が原因にされる。
ここには大きな経営上の盲点があります。
部下が遅いと感じたら、ドライバーを責める前に道路を見る。
これが、私は管理職に最も身につけてほしい視点だと考えています。
「誰が悪い」から「なぜ起きる構造なのか」へ
第五段階の問題解決・改善教育にも、この考え方はつながります。ミスが起きたとき、「誰がやった?」と聞く会社と、「なぜこのミスが起きる仕組みになっていた?」と聞く会社では、数年後に大きな差が生まれます。
もちろん本人に責任がないという話ではありません。しかし人を注意して終われば、違う人が同じミスをする可能性があります。構造を直せば、その問題そのものが起きにくくなります。
航空事故の歴史も、多くの失敗から学び、手順、訓練、機器、管制、CRMなどを改善してきた歴史です。一つの事故を「このパイロットが悪かった」で終わらせていたら、航空は現在ほど安全な移動手段にはなっていなかったでしょう。
半導体製造現場でも、一度発生した問題から原因を分析し、次に同じ問題が起きにくい標準へ変えていく。この積み重ねが品質を高めます。
会社経営も同じです。問題は、会社を強くするための教材でもあるのです。
社員教育と利益構造は、本来つながっている
社員教育を福利厚生や人事施策のように考える経営者もいます。しかし私は、人材教育は明確に経営戦略であり、利益構造の一部だと考えています。
例えば新人が戦力になるまで一年かかっていた会社が、教育体系を整えて六か月で戦力化できればどうでしょう。半年分の生産性が生まれます。ベテランしか対応できなかった仕事を三人が担当できるようになれば、ボトルネックがなくなります。管理職が部下の問題を全部抱えていた状態から、部下自身が改善できる組織になれば、管理職はより価値の高い仕事へ時間を使えます。
さらに経営幹部が育てば、社長がすべての判断を抱え込む必要もなくなります。
つまり、
理念 → 標準 → 専門技能 → 改善 → 管理職 → 経営幹部
という教育構造は、そのまま
生産性向上 → 品質向上 → 教育期間短縮 → 属人性低下 → 管理コスト削減 → 利益率向上
へつながっていくのです。
これがGHOST経営™で教育を経営OSの一部として扱う理由です。
教育・評価・昇格まで一本につなげる
さらに社員教育を強くするには、「研修を受けました」で終わらせてはいけません。何を学ぶのか、何ができれば合格なのか、それをどう評価するのか、次の役職へ上がるためには何を身につけるのかまでつなげます。
例えば課長になる条件を「営業成績が良い」だけにしない。部下を育成できる。業務を標準化できる。問題を構造的に分析できる。KPIを管理できる。自分がいなくても一定水準で部署が動く。このように役職ごとの能力を定義しておけば、人事評価と教育と昇格が一本につながります。
航空の世界では、資格や役割ごとに求められる能力が違います。半導体製造装置でも、新人と熟練エンジニアでは任せる仕事が違います。ところが会社組織になると、「勤続年数が長いから」「何となくリーダーっぽいから」で管理職にすることがある。これでは、人材育成が偶然に依存してしまいます。
GHOST経営™が目指すのは、その偶然を構造へ変えることです。
経営の本質
34年間、航空という世界を見てきて、そして半導体製造装置という高度な技術現場に関わってきて、私が強く感じることがあります。それは、本当に強い組織ほど、人の能力を尊重しながら、人の能力だけには依存していないということです。
優秀なパイロットは必要です。しかし、優秀なパイロットだけでは安全な航空システムは成立しません。優秀なエンジニアは必要です。しかし、一人の天才エンジニアだけに依存した製造現場では、世界中で同じ品質を再現することはできません。
会社も同じです。
優秀な社員を採用する。素晴らしい管理職を育てる。それはもちろん重要です。しかし、その人たちが安心して力を発揮できる道路をつくることは、それ以上に経営者の仕事です。
理念という目的地がある。基本と規律という交通ルールがある。標準という道路がある。専門技能という運転技術がある。改善という道路補修能力がある。そして管理職は道路を整備し、経営幹部は次の道路網を設計する。
そう考えると、社員教育とは「社員に何かを教えること」ではなくなります。
新人が育ち、中堅が改善し、管理職が次の人を育て、幹部が未来を設計する。その循環が、社長が逐一指示しなくても回り続ける会社をつくること。
それが社員教育の本当の目的です。
GHOST経営™でいう属人性排除とは、人を排除するという意味ではありません。むしろ、人を単純作業、過剰な責任、特定人物への依存から解放し、人にしかできない創造、判断、育成、挑戦へ向かわせるための思想です。
フェラーリを何台集めても、砂利道しかなければ会社は速く走れません。
だから経営者は、社員に「もっと頑張れ」と言う前に、自社の道路を見なければならないのです。
その社員は、本当に能力がないのでしょうか。
それとも、会社の中にある障害物が、その人の能力を止めているのでしょうか。
そして管理職は、その障害物を取り除く人になっているでしょうか。それとも、道路脇から「もっと速く走れ」と叫ぶ人になっているでしょうか。
人を育てるのではなく、人が育ち続ける構造をつくる。 優秀な人に依存するのではなく、優秀な人がさらに価値を生み出せる経営OSをつくる。
航空も、半導体製造も、会社経営も、突き詰めれば同じところへ行き着きます。
人の力を最大化するのは、人を追い込むことではありません。
人が安心して能力を発揮できる「構造」をつくること。
そこに、社員教育から見えてくる経営の本質があるのです。
